先週末金沢の学会に行ってきました。日韓形成外科学会と言って、2年に一度開催される、日本と韓国の2国交流の形成外科学会です。今回は耳のセッションがなかったので私としては全然盛り上がらなかったのですが、韓国の先生たちとお会いすることに加え、実は一つの野望がありまして・・・前にもお伝えしたことがあると思うのですが、私の変わった苗字からして先祖は神官だったようですが、私の4代前は能登半島の神官だと聞いていたので、一度その神社に行ってみたかったんですよね。今回学会の前日に、ついに訪ねて来ました。
ネットで四柳神社(以前は四ッ柳の ッ は入ってなかったようです)を探してまず向かったのは能登半島の付け根にある羽咋(はくい)市というところ。そののどかな小さい市のさらにはずれに四柳という地名があります。そこの国道から山の方に少し入った民家の一角にひっそりと小さな神社が建っているのを発見。見ると四柳神社と書いてありました。ちょうど瓦屋根の修復をしているらしく、鉄骨で覆われていたのが残念でしたが、自分の名字の神社を見てしばし感動しましたよ。
ただ、そこの神社は神官がいるような大きな神社ではないので、本当のルーツとして、私の本命は輪島市にある美麻奈比古(みまなひこ)神社というところでした。ここは能登半島で一番古く、代々四柳さんが神官を務めているとのことで、現在の宮司は四柳嘉章(かしょう)さんという歴史学者の方だそうです。嘉章さんに関しては、青森の郷土館で仕事をされている私の患者のお母さんからたまたま教えていただいて存在を知りました。本人とお会いできるとは期待していませんでしたが、次にこちらの神社を訪ねてみました。
美麻奈比古神社は長い階段の宮道があり、そこそこ大きい神社の周りに神社関係の方の家らしい建物もありました。少し迷ったものの、折角来たのでと思い、その家に声をかけて見たところ、女性が出て来て、嘉章さんなら今日はすぐ下の家にいますよ、と言って連れて行ってくれました。嘉章さんは私がルーツを訪ねて札幌から来たことを伝えると、気さくにどうぞどうぞとご自身の書庫に案内してくれまして、10分ほど話をしました。嘉章さんも私の先祖がそこから枝分かれしただろう昔のことはご存じなく、四柳神社の方の由来についても、過去に分家した方なのだろうという以上のことはわからないそうです。それでもたまたまお会いできたことも非常に幸運でしたし、また何となく勝手に懐かしさを感じた次第です。ちなみに嘉章さんは現在輪島漆芸美術館の所長をされており、岩波新書などにも本を出している方です。