2016年5月19日木曜日

ルーツを訪ねて


 先週末金沢の学会に行ってきました。日韓形成外科学会と言って、2年に一度開催される、日本と韓国の2国交流の形成外科学会です。今回は耳のセッションがなかったので私としては全然盛り上がらなかったのですが、韓国の先生たちとお会いすることに加え、実は一つの野望がありまして・・・前にもお伝えしたことがあると思うのですが、私の変わった苗字からして先祖は神官だったようですが、私の4代前は能登半島の神官だと聞いていたので、一度その神社に行ってみたかったんですよね。今回学会の前日に、ついに訪ねて来ました。

 

 ネットで四柳神社(以前は四ッ柳の ッ は入ってなかったようです)を探してまず向かったのは能登半島の付け根にある羽咋(はくい)市というところ。そののどかな小さい市のさらにはずれに四柳という地名があります。そこの国道から山の方に少し入った民家の一角にひっそりと小さな神社が建っているのを発見。見ると四柳神社と書いてありました。ちょうど瓦屋根の修復をしているらしく、鉄骨で覆われていたのが残念でしたが、自分の名字の神社を見てしばし感動しましたよ。

 



 ただ、そこの神社は神官がいるような大きな神社ではないので、本当のルーツとして、私の本命は輪島市にある美麻奈比古(みまなひこ)神社というところでした。ここは能登半島で一番古く、代々四柳さんが神官を務めているとのことで、現在の宮司は四柳嘉章(かしょう)さんという歴史学者の方だそうです。嘉章さんに関しては、青森の郷土館で仕事をされている私の患者のお母さんからたまたま教えていただいて存在を知りました。本人とお会いできるとは期待していませんでしたが、次にこちらの神社を訪ねてみました。


 美麻奈比古神社は長い階段の宮道があり、そこそこ大きい神社の周りに神社関係の方の家らしい建物もありました。少し迷ったものの、折角来たのでと思い、その家に声をかけて見たところ、女性が出て来て、嘉章さんなら今日はすぐ下の家にいますよ、と言って連れて行ってくれました。嘉章さんは私がルーツを訪ねて札幌から来たことを伝えると、気さくにどうぞどうぞとご自身の書庫に案内してくれまして、10分ほど話をしました。嘉章さんも私の先祖がそこから枝分かれしただろう昔のことはご存じなく、四柳神社の方の由来についても、過去に分家した方なのだろうという以上のことはわからないそうです。それでもたまたまお会いできたことも非常に幸運でしたし、また何となく勝手に懐かしさを感じた次第です。ちなみに嘉章さんは現在輪島漆芸美術館の所長をされており、岩波新書などにも本を出している方です。

 





 

 結局本当のルーツがはっきりしたわけではないのですが、それでも代々伝わってきた先祖が平家の落人で、神主となったという話、能登半島に有名な平家の落人の時国家が近くに残っていることからして、それなりに説得力があるとは思いました。ただ今回の探訪で、一番記憶に残ったのは、時から忘れ去られたような能登半島内陸ののどかな街並みと田園風景であり、源氏から追いやられた落人がそんなところにひっそりと居を構えようと考えたのであれば、それもなかなか悪くない選択ではなかったなと言う気がします。現実がどうであったかは今となってはわからないことですが、昔のことを、あれこれ推測するっていうのは歴史のロマンですよね~。


6 件のコメント:

  1. 四柳神社のお話、先生が話していらしたのを覚えてます!
    行って来たんですね。
    ルーツを探る旅、ロマンチックです。
    田中とかだと沢山いすぎてルーツ探れなさそうです。
    ちなみに私の旧姓は鈴木なのでもっと無理な気がします‥‥

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  2. お久しぶりです。いや~・・・珍しい苗字って、覚えられやすいかもしれないですが、一族で誰か一人悪いことをしたら全員かなり困ることになるので、平凡が一番だと思いますよ。でも田中の前は鈴木でしたか。確かに刺激的ではないですね。
    さらに、ヨって、出席番号もたいてい最後になるのでネックでしたよ。出席番号が先の人は身体測定などもさっさと終わって遊んでいられるのに、こっちはずっと待ってるしかないですから。いつもクラス替えの時はせめて渡辺姓がいることを祈ってました。

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  3. 伊藤由美子2016年6月2日 21:39

    イガグリの母です。神社の四柳先生から当日早速私のところへも連絡ありました。四ッ柳先生が訪ねられたことを心から喜んでました。四柳先生は仕事上大変お世話になり、かつ研究者としてとても尊敬している方です。私はまだ神社へ伺ったことがないのですが、機会があれば是非行ってみたいです。余談ですが能登半島には真脇遺跡という縄文時代の有名な遺跡があります。温泉施設も隣接しているので、また行かれることがあるなら是非行ってみてください。

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  4. これはこれは。嘉章さんの存在を教えていただいたおかげで新しいご縁もでき、非常に感謝しております。遺跡と漆器にはあまり造詣がないものでわからないのですが・・・個人的には熊本県山鹿市のチブサン古墳だけは一度見てみたいと前々から思ってます。妙に味のある壁画なんですよ。

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  5. 初めまして、美麻奈比古神社通称白山神社の氏子の神前あそんと申します。境内にある大友家持の歌碑をみられましたか?能登の地は義経が逃げてきたり頼朝の墓があったりと不思議の地でもあります。縄文から平安辺りまではかなり栄えたようです。以後北前船の時代をピークに廃れていったようです。北海道開拓時代は、左官大工などが多く移住しています。マメでした(笑)

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    1. おや、あまり小耳症自体には縁がないと思うのですが、氏子の方にもこうやってお越しいただけるとはびっくりです。ようこそ!しかし、そういう碑がありましたか・・・顕彰碑?というのは見たんですけどね。北前船で栄えたというのはそうだろうな~と思うのですが、頼朝の墓は知りませんでした!
      能登だと歴史的な伝統芸能や言い伝えなども色々あるんでしょうね。古くから伝わるそういう行事をいつか見れたらいいな~と思います。まあ仕事引退してからになりそうですが。

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